とある土曜日

始めに言っておきます。
今回のブログは長いです、写真も100枚近くあります(笑)

さて、とある土曜日。
いつものように朝、起きて子供達に朝食を食べさせ、塾や学童保育へ見送り私も出勤スタイルで外出。
普段はママチャリで事務所に向かうワタクシですが、今朝はボルボの駐車場へ行きました。

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朝日に輝く我が愛車。
おもむろに仕事用カバンを後部座席へ・・・・
今日はどこかの現場でも行くのでしょうか。

・・・・ではありません。
まあ皆さんおわかりだとは思いますが(笑)

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荷室には準備万端用意がととのっています。
ええ、昨夜の内に怠りなくしておきましたとも。

どこの山を走ろうかと色々と考えましたが、久しぶりのことでもあるし体力も最近は落ちているので万一のことがあっても安心な土地勘のあるところにしました。
小中学生の頃、自転車でさんざん走り回った大阪南部と和歌山にかけての山々です。
一部初めて通るところも盛り込んで一周30KM弱のコースを設定しました。

高速を使って1時間ちょいでかつての自宅周辺に到着。
とある駐車場でリッジランナーを組み立ててスタート。
まずはかつての自宅から少し降りたところにある史跡に立ち寄ります。

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首斬地蔵(くびきりじぞう)さんです。
名前の由来は後ほど。

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子供の時と変わらずまつられていましたが、以前より少し整備されていました。
このお地蔵様は蓮池というため池のほとりにまつられています。

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何の変哲もないため池ですが、歴史のあるため池です。
鎌倉時代の初期、重源によって整えられたという、今から800年も前からある池です。
その400年後、この池の横に織田信長によって作られた軍用道路が今も立派に残る信長街道。

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波太神社(はたじんじゃ)に向かって伸びています。
その波太神社を本陣として紀州の根来攻めが秀吉によって行われたのですが、それに反対したこの地域の寺院の僧侶がことごとく首を斬られてしまいました。
その僧侶達をまつったのが首斬地蔵です。

重源の時代から400年で信長、秀吉の時代になり、さらにまた400年後が今の時代です。
現代から見ると鎌倉時代も天正年間も大差無いように思いますがこうして思えば天正年間の前後、同じ400年なのかと感慨にふけってしまいます。

ちなみに私も子供の頃、この信長街道や首斬地蔵のことを聞きましたが当時の蓮池は悠久の史跡というイメージとはほど遠く、ラジコンエンジンのうなる場所でした。
70年から80年代前半ってラジコンブームがありましたよね。
近くの町民グラウンドはラジコン飛行機を飛ばしている人たちが結構いましたし、この蓮池はラジコンモーターボートのメッカでした。
エンジン式の結構大きなラジコンモーターボートが大きな音を立てて水面を走り回っていましたし、堤にはプロポを持った人々がたくさんいました。

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その堤から見える大阪湾と淡路島。
近くの自宅からの風景もこんな感じです。
さて、お参りついでに近くの波太神社にも立ち寄ります。

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小学生のころはここの秋祭りが楽しみでした。
大人になってからもリッジランナーで何度か立ち寄ったことがあります。
レストア後、初のオフロードが波太神社の参道とは(笑)
あ、もちろん鳥居の手前で下車して自転車はそこに置いておきました。

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ここの雰囲気も懐かしいな~

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拝殿前の石段。
祭りの時、最高潮に盛り上がるところです。

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祭りの日は各地区からこのような「やぐら」が波太神社に集まってきます。
だんじりみたいですが、だんじりは4輪、このやぐらは2輪で大きな大八車、というか牛車のようなものをイメージしてください。
宮入りの時に順番にこの階段めがけて突進していきます。

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※やぐらの写真は二枚ともネットで拝借しました。

これは実際に見るとかなりの迫力があります。
まあ子供の時は出店目当てで一日うろつくわけですが、この宮入りの時は観客みんなが固唾をのんで見守っていました。
登りきることが出来ないこともあるんですよ。
なので登り切ったやぐらが拝殿の前を誇らしげにグルグルと走り回る姿は子供の目にもかっこよかった。

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このあたりも当時のままで、絵馬も昔のものが残っていました。

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ちょうど七五三のシーズンでお参りに来ている家族連れが多かったです。
私も前途の無事をお祈りしておきました。

さて、波太神社を出て和泉鳥取駅方面へ向かう途中、昔良く遊んだ玉田山古墳にも立ち寄ろうと思い記憶のままに行こうとすると・・・・

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いつのまにやら病院が建ち、35年前良く通った道はフェンスで囲まれ通行が困難。
たぶん他に道が整理されているのでしょうが、そこまでして行かなくても良いかと撤退。
でもふと思ったのは、私は引っ越して30年経つのでその後の変化を知らないわけなのですが
痴呆症で道に迷った老人が家と家の間の路地で立ち往生するという話に似ているなと思いました。
当時ここは田んぼの中にある里道で、記憶とちょっとくらい景色が変わっていても「あ、この角を入っていく」という風に
記憶がよみがえるのです。でも記憶と現実は何十年かの隔たりがあるので進んでいく内に知らない建物が建っていて行き止まりで立ち往生。
という風になるのでしょうね。

さて、和泉鳥取の駅のあたりで信長街道から紀州街道に入ります。
男里川(おのさとがわ)の支流、山中川に沿った街道で雄ノ山(おのやま)峠を越える道です。
おのさと、とか、おのやまとか少し古い音の地名ですがそれもそのはず男里は古事記にも出てくる地名。
神武天皇のお兄さん、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)が九州から大和を平定するための遠征中に亡くなった場所です。
いきなり神話時代までさかのぼりました。
彦五瀬命に関しては大阪東部の磐船(いわふね)や日下(くさか)、盾津(たてつ)や日根野(ひねの)などいろんなところで伝説が残っていますがそれぞれの地名も古いまま残っているのが興味深いです。

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さて、阪和線や山中川沿いの紀州街道ですがここは熊野古道とも重複しています。
早くから市街化してしまったので古道はなかなか残っていませんが部分的に残っている道も通ってみたいと思います。

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子供の頃泳いでいた場所。
何年か前に自分の子供を連れて2~3年にわたって泳ぎに来ましたが今では誰も遊ぶことがなくなっています。

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ゆるーいのぼりが延々と続く道に汗を掻きつつ進んでいるうちに山中宿のあたりまでやって来ました。
これは庄屋さんのお宅です。
大阪最後の集落。

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健脚の神様、山中神社にも立ち寄りました。
熊野詣での皆さんは昔からここでお参りしたそうです。
私ももちろん、この先の道中、足が持つようにお参りしました。

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山中宿の先でJR阪和線の山中渓(やまなかだに)駅に到着。
電話ボックスも当時のままです。
子供の頃当然、国鉄阪和線だったのですが当時のお年寄りは阪和線のことを決して「国鉄」とは言いませんでした。
この先の和歌山から向こうの紀勢本線のことは国鉄というのに阪和線のことは必ず「阪和線」と言っていました。
大人になって謎が解けたのですが、阪和線は戦時中に国鉄になったそうですね。
当時は阪和電鉄として南海と熾烈なスピード競争をしていた歴史があるようです。

大阪の中心部から1時間以内で来れる駅前温泉街としてにぎわっていた時代もあるそうですが、私が子供の頃は「ほととぎす」という温泉旅館が一軒残っているだけでした。
今はほととぎすも閉鎖して肝試しスポットになっているそうです。

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駅前の大衆食堂は当時のままでした。
今はハイキングコースのスタート&ゴール地点なのでこの時期はそこそこお客さんが来るのではないでしょうか。

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駅をあとにして県境を目指します。
途中に露出した地層。
このあたりは砂岩と泥岩の層が多く、貝などの化石が良く採れます。
小学生の時はいろんな地層をスケッチしたり化石を採取して夏休みの自由研究はいろいろ表彰してもらいました。
もちろんここの地層も当時スケッチしました。懐かしい。

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気温は低いのですがずーっと続く上り坂でかなり汗ばんできました。
というか、息が切れる(笑)
めちゃくちゃ体力が落ちています。
まあ今日はそれを見越してゆっくりペースで時間配分しているのでのんびり行きます。

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右手に見えるこの山の奥をぐるーっと巻いていくのが今日のルート。
直接この山を登るハイキングコースもありますが自転車禁止ということなので林道を通ることにします。

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府県境に到着。
おや、新しい石碑が設置され「日本最後の仇討ちの場所」とありました。
知らなかったなあ。
この県境沿いに境川という川がありそこを渡る峠道の橋が境橋と言います。
いかにも県境にふさわしい名前ですが子供の頃、6月の夕方になるとここへ来たものです。

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なぜならこのあたりには蛍が飛ぶから。
引っ越してきた当初は南海の鳥取ノ荘駅のあたりも蛍は結構飛んでいましたがいつの間にかいなくなりました。
それ以来、ここの川へ蛍を見に来たものです。
大人になってからも何度か来ましたが、名所でもなんでもないので他に誰もいない静かな場所でぽつりぽつりと光る蛍を楽しむのは結構贅沢です。
数分おきに阪和線の電車が通過して現実に引き戻されますが(笑)

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和歌山側に入りましたが峠はまだまだ先。
行政区分は和歌山ですが、このあたりはまだ大阪側に出るほうが便利な地域です。
そしてここの道も一部記憶と違いました。
当時、ここは右に急カーブしていて今、道になっている部分は田んぼでした。
小学生のある朝、いつものように和歌山市まで自転車で遠征(20インチで2時間くらい)する途中、カーブを曲がりきれなかったのか田んぼにひっくりかえっているカローラを見かけたことがあります。
帰る時には無くなっていたのでクレーンでうまく引き上げたのでしょうね。

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記憶の通り、旧道が残っていました。
確かに2車線幅の道路が急に1車線幅になって右へカーブしてたら落ちても仕方ないなあ。

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雄ノ山峠へはまっすぐですが、ここから滝畑集落の中を通る熊野古道に入ります。

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熊野古道沿いの王子跡(おうじあと)もこのあたりにあったそうです。

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いいですね。
こういう風景大好きです。
小学校の先生の家がこんな感じでした。

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橋を渡って行くと熊野古道を通って紀州に抜けることが出来ます。
右が落合集落へ向かう道。
今日はこの右の道を通ります。
紀伊名所図絵巻にもこのあたりの様子が描かれています。

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滝畑集落のはずれにある「お滝神社」。
名水のわき出るところらしいです。
和歌山市の取水場が近くにありました。

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献金をあらわす石柱は鳥居の両サイド二本とも大阪の人のものでした。
昔からここは紀州だけど、やはり文化的には大阪と密接なつながりのある場所だということがわかります。
まあ地理的には完全に峠よりも大阪側ですからね。
川も大阪へそそぐ川ですし。

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集落を抜けると早速山道に入っていきます。
少しずつ頑張って高度を稼いでいきましょう。
それでも心臓も肺も悲鳴をあげています。
ですが気持ちいい!

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子供の頃は朝から晩までこういうところを走り回っていたんですけどね。
もう本当に久しぶりです。

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お、土に還る途中のサブロク発見。
でもポーターキャブなんて、まだまだ綺麗ですね。
おこせるかも??

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林道の支線にあった橋です。
綺麗に草も刈られてしっかりと維持管理されています。
ただ、上に積もった土はある程度除去した方が橋梁への負担が減ると思うのですが・・・

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壊れた欄干からむき出しになっている鉄筋。
異形鉄筋ではなく、丸鋼なので昭和40年代半ばよりも前のものだということがわかります。
おそらく昭和20~30年頃のものでしょうか。
こんな山中に立派な鉄筋コンクリートの橋があるということは当時はそれなりに重要な道路だったのでしょう。

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ちょっと疲れたのでここで休憩。
自転車用のヘルメットなんて持ってないのでスキー用です(笑)
まあイヤーパッドを外しているので暑くはありません。
風と鳥の鳴き声を聞きながら身体を休めました。

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ここまで来る途中、何度かカブや軽トラとすれ違いましたがこんなところも通っているのかな・・・
かなりガレてきます。
もう少し行くと少し開けたところに出ました。

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落合集落です。
GOOGLEマップで見るとよくわかりますがりっぱな大きな家が3~4軒だけ建っている小さな集落。
川も道もそれぞれ落ち合うまさに落合という地名のふさわしい場所です。

かなり立派なお宅です。

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もう、ここは大阪へ出るよりも分水嶺をちょっと超えて紀ノ川の方へ降りた方が早いと思います。
文化的にも紀州なのでしょうね。

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左がその紀州方面へ向かう道。
右は地蔵山や雲山峰の方へのぼっていく道。
私は右を進みます。

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さあ、ここから先は人の住んでいない地域。
今のところ予定より10分程度の遅れで順調に進んでいます。
さらに急勾配になる道をえっちらおっちらと進みます。

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山の奥の方まで畑が綺麗に維持されていました。
だんだんへとへとになってきたぞ(笑)

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ガレたのぼりが続きます。
休憩をとる間隔が短くなっていきます。

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のぼってものぼってもこんな感じ。
ノーサスなのでトラクションが抜けないように加重したり抜重したりしながら少しずつ進みます。

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ヒーヒー言いながらもセルフタイマーでこんな写真を撮ったりして遊びながら進む。
すると「バイク・自転車通行禁止」の看板に出くわしました。

ハイキングコースではなく林道ならもう少し行けるかなと思っていましたが思ったより手前から駄目でした。
まあハイカーの安全や道路の保護が目的なのでしょうから従わなくてはなりません。
ここから1KMちょっとの上り下りの峠は担いで行くことにします。

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ピークの手前で予定していた昼食ポイントに到着。
あー疲れた。

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立ち止まると一気に汗がひきます。
身体を冷やさないように重ね着をしてお弁当。

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ふもとのコンビニでお弁当を電子レンジで温めてからカイロを両面に貼り付けておきました。
ぬくぬくのお弁当が食べれます。

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静かなところです。
熱々のカップヌードルも食べて一息つきました。

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気持ちいい。
でもじっとしていると寒くなってきます。
少しだけ休憩して山を越えることにしました。

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今回、途中で担ぐ予定だったのでちょうど先日手に入れた当時もののショルダーパッドを装着。
目に刺さるピンクです(笑)
miyata純正。
以前はこれと同じモデルの黄緑のやつをつけていました。
さて、あと1km弱を歩きましょう。

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尾根道に出ると何組かのハイカーさんと挨拶しました。
私は前輪を外して「自転車を背負ったハイカー」になって歩きました。

尾根を超えると南斜面なので日当たりが良いです。
和歌山の市街と海が見えてきました。

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光っているのが海です。
尾根道はほんの200メートルほど歩いただけですぐに行者堂への分岐を下り始めます。
結構ひざへの負担があるので休み休みします。

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ここで食べたチョコが美味しかった。
ここから先は杉木立になり日陰の中を下っていきます。

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自転車かついで勾配のきついところをおりるのは結構ひざにきます(笑)
足場も悪いので慎重に足を運びました。

かなりへとへとになったころ、ようやくお堂が見えてきました。

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行者堂です。
修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)ゆかりのお堂。
行者堂はいろんなところにありますが河内から紀伊山地にかけてが役小角にとってはホームフィールドなので
和泉山系にはいろいろと縁のある行場やお堂が残っています。
それにしても自転車をかついで山を越えてきたので疲れました。

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休憩場があったのでリッジランナーを置いて少しやすませてもらいました。
誰もいないお堂で息を整えます。
さて、予定の時間通りに進んでいますがこれから別の峠を越えて大阪側に戻らなくてはなりません。
その前に今日のお楽しみのダウンヒル。

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これからこの林道を下っていきます。
もうね。めっちゃくちゃ楽しかったです。
満面の笑みでくだっていきました(笑)

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基本的にフラットなダートです。
ところどころ大きめの石が転がっていますが若干フロント荷重を抜いてこなしてきます。
リッジランナーも十数年ぶりのダウンヒルですが機嫌良く走ってくれています。

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あっという間に井関橋まで来てしまいました。
左に下っていくと六十谷(むそた)の駅です。
右がこれから越える井関峠。

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この先しばらく行くと急勾配の激坂が待ちかまえています。
うへえ。日が暗くなるまでに越えなければ。

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その前に、トラクションを稼ぐためにエア圧の調整。
一旦多めに空気を抜いてから少し入れ直して狙った圧にします。
リム打ちしない程度にしておきました。

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こーんな感じにガレた道を上っていきます。
しかも一旦とまるとこぎ始めに結構気を使わないと勾配がきつすぎてリアが空転してしまいます。
でもエアを抜いているので気をつけてこげばノーサスでもなんとかトラクションを路面に伝えることができました。

もう、ひーひー言ってのぼっていきます。
かなり進んだときに「バイク・自転車 進入禁止」の真新しい看板が・・・・・

え~?
知らなかった・・・・
以前(20年くらい前)は自転車は問題なかったと思うのに・・・
リサーチ不足でした。

とは言え、この峠を越えないと帰れないのでかついでのぼっていきました。
途中2組のハイカーさんとすれちがい挨拶しながらのぼります。

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ふー、やっと峠に到着。
井関峠の和歌山側は勾配がきつかった。
大阪側は何度か歩いたり、リッジランナーでのぼったりもしてるんですが。

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振り返ると紀伊山地がはるかむこうに見えています。
この井関峠も歴史に何度か登場しますが、一番印象に残っているのは幕末の鳥羽伏見の戦いのころ。
幕府方の敗残兵は紀州徳川を目指してこの井関峠を越えていったそうです。
峠を登り切ってこの紀州の山々が見えたときはほっとしたでしょうね。

私もとにかくこの峠越えがきつかった。
しばらくの間、峠で身体を休め、タイヤに空気を入れました。
のぼりの時よりはかなり高めに設定。

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すっかり陽が傾いてきて誰もいない林道を降りていきます。

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結構な勾配でかなりスピードも出ますが路面はさほど荒れていないのでノーサスでも楽しく下ることができました。
レストア時にリアを9速化しているのでこんな状況でもさらに加速することが出来て楽しい。
でも突然、脇のヤブからイノシシが飛び出して前を横切りました。
おおお、あのスピードでぶつかったら洒落にならないところでした。
こっちもびっくりしましたが、イノシシの方も驚いたでしょうね。ごめんなさい。

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閉鎖されてしまった紀泉高原キャンプ場のあたりです。
子供の頃は自転車でこれるキャンプ場として家族や子供会などで良く来たところです。
無料だったしお手軽で良かったんですけどね。

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鳥取ダムまで降りてきました。
ここにくるのも久しぶり。
さて、ここからはアスファルト舗装とフラットダートが交互におとずれる区間です。
ダートも普段から車が通るところなのでタイヤの空気圧を上げておきます。

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それにしても派手なカラーリング(笑)
バブル真っ最中の時代ですもんね。
一時は廃車同然で雨ざらしだったこのリッジランナーで再び井関峠を走るとは感慨深いものがあります。
小中学生のころは、ヤマグチのベニーダンディー(笑)で走り回っていましたが。

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一番重いギアにしてがんがん走りました。
いやー楽しい。
でもあっちゅうまに林道終了。
桑畑の集落に入りました。

まっすぐ進めば朝に通った波太神社わきに出ますが、今日は子供の頃良く通っていた車谷(くるまだに)へ抜ける道がどうなっているか確かめたかったので通ってみます。

私が通っていた舞小学校と貝掛中学校の間には車谷という谷があります。
子供たちは車谷とは呼ばずに「舞小の裏」と言ってましたが、今は国道26号線のバイパスが通り、車谷部分はバイパスのインターが出来てグーグルマップで見ると谷が無くなっている模様。
車谷と桑畑をつなぐ道もどうなっているのかとても気になっていました。

桑畑から墓地に入りましたが、ここも当時の面影はあまりなく山の斜面が切り広げられているようでした。
日清戦争や日露戦争で亡くなった方の墓石を小学生の頃に何度か見ていましたがそのうちのいくつかは真新しい御影石に交換されていました。
おそらく墓地の位置も少し整理したのかもしれません。
当時は鬱蒼とした森の中に墓石が並んでいたのを覚えています。

で墓地をすぎると切り通しの道があったはず。

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コンクリートの道が途絶えた先はこんな感じですが、リッジランナーを押してヤブの中に入っていきました。

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おお~!
残ってました!!
ここがその切り通しの道です。
小学生の頃良く通ってました。
特に春になってビワの季節になるとココを通って桑畑に抜けて池の畔のビワの木でさんざん実を食べてました(笑)
土がくずれて若干埋まっていますが切り通しそのものは当時のままです。

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懐かしいなあ。
当時の私は小学校の裏山をかなり広い範囲、歩き回っていてここの道も偶然見つけたものでした。
しかも通り抜けると桑畑地区に抜けたのでものすごく驚きました。
地図を見ればわかるのですが、地図を見ていなかった小学生の私は小学校から桑畑というと南海団地→三井団地→光陽台→蓮池→波太神社→桑畑とかなり遠いイメージです。
いつも遊んでいる小学校の裏山を抜けると桑畑地区に出るという発見は「ワープ」以外の何ものでもありませんでした(笑)

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30数年ぶりに通ります。
この先どうなっているのか思い出せませんでしたが、不思議と少し進めばその先のことを少し思い出します。
まるで薄暗い中を懐中電灯で照らしたように小さな範囲だけ記憶がよみがえります。
痴呆症で徘徊している人はこんな感じでうろうろしてしまうのかもしれません。

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こんな獣道のような状態でも、記憶に残っている通りの道です。
誰かが年に何度かは通っているのか、完全に閉ざされた状態ではありませんでした。
覚えているまま通っていくと。

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これまた記憶通りに池の畔に出ました。
車谷の奥には二つ池がありますが、小さい方の池です。
小学生以来、ここへ来ることはありませんでしたが大人になった自分がここを通っているのがとても不思議な感じでした。
自分の中では「子供の時に通った場所」というイメージで固定されているのでしょう。

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多少下草がはびこっていますが、しっかりと道は残っていました。
このまま車谷を抜けて小学校の裏へ出たいと思います。

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笹に覆われてしまっていますが道の痕跡はあります。
ここを下れば車谷の林道があった場所に抜けるはず。

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林道の枝道があったところに降りてきました。
あの先が林道の本線があったところです。
一番遊んでいたフィールドまであと少し。
先を急いで行くと・・・・

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なんじゃこりゃ。
谷が無くなってる・・・・
正確には谷が埋まっている。
ええ~??
山が低くなってる!
じゃなくて、谷が埋められたので山が低く感じるのですが、このあたりはもっと谷が深く、谷底もこんなに広い場所ではありませんでした。
というか、川も無くなってる!
車谷池の水はどこを流れてるのでしょう。

とりあえず谷の出口に向かって進んでいくと第二阪和国道のインター手前でフェンスにはばまれてしまいました。
というか、インター付近から山側は立ち入り禁止の様です。
私は山越えしてきたので、立ち入り禁止のところへ入ってしまったのでした。
フェンスには出入り出来るドアがあり、施錠していなかったので外に出るのに困ることはありませんでしたが浦島太郎状態の私は車谷の景色のあまりの変貌にとまどいました。

新しく出来た道を下っていきますが、目の前にある山々は見慣れた尾根の形なのですがとても低い。
前はもっと低い谷底から見上げていたのに寸づまりな感じ。
自分が大きくなったから、見え方が変わったとか言うレベルではありません。

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あ、沼が無くなってる。
この山の尾根を越えると小学校の敷地に出ます。

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あ~、川は暗渠になってました・・・
やっぱり谷は埋められたんですね。

一本杉・二本橋・一本松やオークワ・イズミヤなど子供達がそれぞれ名前をつけていたカブトムシやクワガタが集まるポイントはすっかり無くなっていました。

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でもここのあたりは当時のまま残っていました。
道から左は埋め立てられて見る影もありませんが、道から右側はまったくそのままです。
ここのそばの川は浅くて低学年でも安心して遊べるポイントだったのに・・・
ゲンゴロウやミズスマシなどの水生昆虫やドジョウなどがたくさんいた沼も残ってませんでした。

ただ、この道から右の部分は私が小学校1年生の時から変わっていません。
懐かしい。
オート三輪に乗ってるおっちゃんと仲良くなって、良く乗せてもらったのがこのあたりです。

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南海団地から降りてくるルートもそのまま残っていました。
夏休みは朝の6時くらいからクワガタを捕りに来てから朝ご飯を食べに帰ってました。
大体、車谷は小学生の低学年から中学年くらいまでが遊ぶところでした。
高学年になってくると、桑畑地区や小川温泉、紀泉高原、山中渓などへ足を伸ばすようになっていました。
たまに和歌山市駅まで2時間かけて自転車で行ってましたが(笑)

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このあたりからはずっと当時のままです。
ただ、当時は自転車を使わずに山沿いの小道を歩いていました。
あの頃は一日何キロ歩いていたんやろ(笑)

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泳いでいたポイントもいくつか残っていました。
このあたりは日が入らないので夏でもすぐに唇が紫色になってました。

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アスファルト舗装になっている以外は当時のままです。
タマネギ小屋も懐かしい。

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振り返ると国道のバイパスが見えました。
高さ30メートル以上は埋められているのではないでしょうか。
なんとなくわかってはいましたが、やっぱり車谷はなくなっていたんやなあ。
ちょっと寂しいです。

でも一本だけクワガタのポイントが残っていたので来年の夏、来てみようっと。

さて、朝から30キロ、ぐるーっと坂道ばかりを自転車で走ったり、担いでのぼったりともうクタクタです。
あと少しでゴールなので頑張っていきます。

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通称「8メーター道路」と桜並木の交差点。
最初ここには信号がありませんでした。
というか、校区内に信号がありませんでした。
私が2年生のころだったかな、ひょっとして1年生?のころにここに信号が設置されました。
学校の帰りにみんなで工事の様子を見ていたのを覚えています。

ここまでくればあと一息。
無事、ボルボにリッジランナーを積み込みました。
へろへろになりながら近くのスーパー銭湯へ移動。

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日が暮れるまでに1周できました。
あー疲れた。
このあとゆっくりとお風呂につかり、仮眠室でぐっすり眠り、マッサージ機で充分もみほぐしてから帰途につきました。

いやー、リッジランナーと十数年ぶりにたわむれましたが楽しかった。
レストアして良かった。
というか、捨てずにとっといて良かった。
やっぱり身体を使うのは楽しいものです。

今回、土地勘のあるところにしましたが、30年も前の土地勘なのでいくつかとまどってしまいましたが車で来たのではわからないところを散策出来たのが良かったです。

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次はどこを走ろうかな。
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リジット車

故の復活ですかね。

それはさておき、かつぎが発生した場合、リジットフォークの方が楽なのはありますねぇ
うちの総重量は12~3kgくらいですが、その重量の1/4はフロントショックのためホイールが
リアスプロケ分とRタイヤが太いことが多いので重いとはいえ重量バランスが取れず、
かといってDISK車故あまりホイール外すわけにもいかず。
ま、外しても前重いんですが。
前のMTBはリジットだったので前後重量バランスの違いはモロに感じてます。
・・・重かったんですがね。

道筋はわかっても路面状態はわからないのと、通行規制以前に崩れなんてのもありますからねぇ
そこはロードとは違います故
>山はいれば

後半歴史ある古道のようですが?
古そうな切通しなど里道ではないですよね?

BEATさん

そうですね。前後リジット故に直すのも楽でしたしかつぐのも楽です。
1~2年違いのフロントショック付きのリッジランナーも、うちにはありますが、前が重くてちょっとした段差を越える時に逆にしんどいです。

古い切り通しの道は里道と里道の間の山越え区間です。
かなり古い道だと思うのですが、私が子供の頃でもすでにあまり使われていなかったようで、周囲の大人達は知りませんでした。
片方が立ち入り禁止になって、人が行き交うこともこれからは無いと思います。
入り口も木が生い茂り始めているので人々の記憶から忘れ去られるのかも知れません。

No title

懐かしな〜そういえば大学生の頃に一度登ったな。
ゲンゴロウ目当てやねんけどやごばっかり取れたあの沼。まだあるんやね。

また行きましょう。

tetsuくん

一緒に登ったな~

あ、あの沼は無くなってん!
残念。

また行きましょ。
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